Panderworld Dreams

ぼくが考えたことを書くところ

裡なる「無敵の人」

"狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり"

この文章は徒然草85段の有名な文章で、以下に

"惡人のまねとて人を殺さば、惡人なり。驥を學ぶは驥のたぐひ、舜を學ぶは舜の徒なり。僞りても賢をまなばむを賢といふべし。"

と続く。

まあわかりやすくまとめると

「何事もカタチから入ってやってみると、ホンマモンになるんだぜyeah」

みたいな意味の言葉だ。

余談だけど、最近の自己啓発本とかにボコボコ書いてある内容、だいたい昔の人も言ってるよね。

閑話休題

でも"狂人の真似〜"って、結局のところその「真似る対象」である要素が少なからず「真似る主体」の裡にあるからこそ起こりうるんじゃないかなと思うんですよ。

100%まともな人(まともって何?って話は置いておくとして)なら、まず「あったまおかしい人の真似やりまーーーーーす!!!!!」とはならないし、「悪い人の真似やりまーーーーーす!!!!!」ともならんやろと。

こういう「異常ゲージ」がある閾値を超えた人が、「ギリ普通の人」から「ライン超えちゃった人」に移行するのかなと思った。

"驥を學びて〜"以下は、「だから意識的にそのラインを超えろ」、と言いたいのだろうけど、その前にある狂人、悪人の例で指摘してるのは「勝手に超えちゃってる人」だよね。

最近この徒然草85段でいうところの「狂人、悪人」の要素が自分の中にふつふつと増してきているのを感じる。

これは前々からのことではあったのだけれど、最近その傾向が強いなと感じている。

例えば、三人称他者の幸せが認められなくなっていたりする。

友人や家族の幸せには、心から祝福できるけれど、街をいく名前も知らない人の笑顔には妬みや嫉みを感じてしまう。

言ってしまえば近頃はやりの「無敵の人」的な考え方だ。

これの原因は明らかで、「自己肯定感が無駄に低いから」だろう。

マジで幸福な事だが、特にいじめられた経験とか、周囲から100%孤立した経験とか、誰からの信用もなくしてしまった経験というのが僕にはない。

こういう、メンヘラの人がメンヘラになるきっかけみたいなトラウマ経験がマジで1ミリもないのだ。

というかむしろ、親友と呼べるような信頼できる友人もいるし、困っているときに適切なアドバイスをくれる先輩やカスみたいな遊びに付き合ってくれる悪友もいるし、ガクチカに書けるような事はやってきたし、相当人間関係やら人生経験に関しては恵まれている方だと思う。

にもかかわらず、(できるだけ抑えるようにしているが)なんか自己肯定感の低いめんどくささが僕の周りには漂っている。

極端に言ってみたら「長引いてる厨二病」なんだろうけど、早い事治療してしまわなくては、いずれこの「自己肯定感の低さ」によって「無敵の人」ゲージが閾値を超えてしまう恐れがある。(特に僕はおそらく「狂人」ゲージは閾値を超えているので、早くなんとかしないと相乗効果で振り切れる恐れがある。)

そうすれば僕の周りにいてくれてる心の広い友人達にも、流石に愛想を尽かされてしまうだろう。それじゃ負のスパイラルだよ〜!(クールポコ)

だから、来年一年は自己肯定感を上げる事を目標にしようと思う。

というわけで、2020年の抱負は「毒ゴリラ」にします!

理由は強そうだから!

毒のあるゴリラの自己肯定が低いわけないからね!