小さい頃はブルーが好きだった
あけましておめでとうございます。
正月三が日も終わり、「無為に時間を過ごしてしまったな」という焦燥感だけが残る年末年始でした。
さて、今回の記事ですが、タイトル通り「俺、昔は青色が好きだったのに今は赤い服ばっか着てんな」と思ったので、そこを掘り下げていきます。
まずみなさん、「赤色」と「青色」について、どのような印象を受けますか?
僕は「赤色=情熱的、活発、空回り」、「青色=クール、理知的、2枚目」のようなイメージを持っています。
おそらくこのイメージを形作ったのは、未就学児だった頃に見ていたベイブレードや戦隊ヒーローの影響が大きいですね。
あ、「小さい頃」というのはまさにその3〜6歳くらいの時期を指しています。
その頃はベイブレードのドランザー使ってくるやつとか、ガオレンジャーの青色とかが好きで、服やら筆箱やら箸やらマイカップやらを青色で揃えていた気がします。
無口でクールな二枚目に憧れていた当時の僕ですが、実際どんなもんだったかというと今以上にヤバくて、「うるさい、人の話を聞かない、落ち着きがない、悪い意味でマイペース、いろんなところでちんちんを出す」といった、下手したら診断が下りるレベルのクソガキでした。
やべ、書いてて凹んで来た…まあ、とにかく赤色寄りの子供だったと思います。
一方で最近の僕は、性格・行動的な面で言うとその頃よりは落ち着いた感じです(とはいえ十分診断は下りかねないですが…)。
あ、いろんなところでちんちん出すのは変わってねえや。
また、服装に関して言うとよく会う人はご存知だと思いますが「真っ赤な短パンに赤いパーカーorジャンパー」という、職質一直線な格好をよくしています。
赤色寄りの人間が赤色の服を着ている、そんな感じです。
色に関するイメージと、僕の性格の本質的なところはおそらく小さい頃と変わっていないので、じゃあ何がその差を生んでるのかな?と考えました。
さて、僕は服装のことを、自己表現の一つの形だと思っていて、「僕はこういう服が好きなんです!だからそういう奴だと思ってください!」という主張をするという役割があると考えています。
相手に正しく読み取ってもらえるかどうかはわかりませんが、自分を印象づける上で大事なものというか。
これは服装に限らず、持ち物などにも言えることだと思います。PSPやらDSの色とかね?
そう考えると、小さい頃に比べて自分を客観視できるようになったのかな、とか思ったり。
遠い理想のキャラクターイメージと自分とのギャップというやつを正しく受け止められるようになっているのかな、と。
もちろん、「それって理想像に近づく事をやめてしまって安牌投げて、守りに入ってるだけじゃね?」という考えも僕の中にはあります。
こういう考え、もっと「大人」になっていくうちにどんどん小さくなっていくのかなあ。
つまんねー大人になりたくねえな。
これからもちんちん出していくか。
と、中学生日記みたいな〆方ですが、飽きてきたのでここまで。
読んでくださった方ありがとうございます。
裡なる「無敵の人」
"狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり"
この文章は徒然草85段の有名な文章で、以下に
"惡人のまねとて人を殺さば、惡人なり。驥を學ぶは驥のたぐひ、舜を學ぶは舜の徒なり。僞りても賢をまなばむを賢といふべし。"
と続く。
まあわかりやすくまとめると
「何事もカタチから入ってやってみると、ホンマモンになるんだぜyeah」
みたいな意味の言葉だ。
余談だけど、最近の自己啓発本とかにボコボコ書いてある内容、だいたい昔の人も言ってるよね。
閑話休題。
でも"狂人の真似〜"って、結局のところその「真似る対象」である要素が少なからず「真似る主体」の裡にあるからこそ起こりうるんじゃないかなと思うんですよ。
100%まともな人(まともって何?って話は置いておくとして)なら、まず「あったまおかしい人の真似やりまーーーーーす!!!!!」とはならないし、「悪い人の真似やりまーーーーーす!!!!!」ともならんやろと。
こういう「異常ゲージ」がある閾値を超えた人が、「ギリ普通の人」から「ライン超えちゃった人」に移行するのかなと思った。
"驥を學びて〜"以下は、「だから意識的にそのラインを超えろ」、と言いたいのだろうけど、その前にある狂人、悪人の例で指摘してるのは「勝手に超えちゃってる人」だよね。
最近この徒然草85段でいうところの「狂人、悪人」の要素が自分の中にふつふつと増してきているのを感じる。
これは前々からのことではあったのだけれど、最近その傾向が強いなと感じている。
例えば、三人称他者の幸せが認められなくなっていたりする。
友人や家族の幸せには、心から祝福できるけれど、街をいく名前も知らない人の笑顔には妬みや嫉みを感じてしまう。
言ってしまえば近頃はやりの「無敵の人」的な考え方だ。
これの原因は明らかで、「自己肯定感が無駄に低いから」だろう。
マジで幸福な事だが、特にいじめられた経験とか、周囲から100%孤立した経験とか、誰からの信用もなくしてしまった経験というのが僕にはない。
こういう、メンヘラの人がメンヘラになるきっかけみたいなトラウマ経験がマジで1ミリもないのだ。
というかむしろ、親友と呼べるような信頼できる友人もいるし、困っているときに適切なアドバイスをくれる先輩やカスみたいな遊びに付き合ってくれる悪友もいるし、ガクチカに書けるような事はやってきたし、相当人間関係やら人生経験に関しては恵まれている方だと思う。
にもかかわらず、(できるだけ抑えるようにしているが)なんか自己肯定感の低いめんどくささが僕の周りには漂っている。
極端に言ってみたら「長引いてる厨二病」なんだろうけど、早い事治療してしまわなくては、いずれこの「自己肯定感の低さ」によって「無敵の人」ゲージが閾値を超えてしまう恐れがある。(特に僕はおそらく「狂人」ゲージは閾値を超えているので、早くなんとかしないと相乗効果で振り切れる恐れがある。)
そうすれば僕の周りにいてくれてる心の広い友人達にも、流石に愛想を尽かされてしまうだろう。それじゃ負のスパイラルだよ〜!(クールポコ)
だから、来年一年は自己肯定感を上げる事を目標にしようと思う。
というわけで、2020年の抱負は「毒ゴリラ」にします!
理由は強そうだから!
毒のあるゴリラの自己肯定が低いわけないからね!
遅れて来た五月病
最近、というかここ3週間ほど、重度の五月病に悩まされています。
これは本当に良くないことだという自覚はありますが…
原因として挙げられるのは、生活がキャパってきたことでしょう。
最近僕の頭を悩ませている事が大きく分けて3つあります。
1つ目は金欠。マジでマネーショートしています。死にそう。
「いや働けや!」という声が各所から聞こえてきそうですが、マジでその通りだと思います。
ただ、その「稼がなきゃなー」という重圧に殺されているのも事実。負のスパイラルってやつですね。
2つ目は勉強。休学が明けて、全く興味のない授業を受けて単位をもぎ取る地獄のような生活が再び始まりました。マジで文理選択が人生最大のミスな気がします。
今更何を言っても変わらないのですが、進級しない事には広島に強制送還されてしまうのでヒイコラ言いながら微分方程式を解いたりラプラス変換をさせられています。
最後に就活。これが本当にヤバい。受験と違って浪人のハードルは高い(そもそもうちは家庭の金銭的な事情で就浪なんて無理)ですし、行きたい企業は狭き門だし。
ほんで就職できるかもわからない企業に毎週毎週雇ってくれ攻撃をしたかと思えば手元には大量のお祈りメール。俺は仏壇か?
こういう苦悩の軸、1つなら全然耐えられるのですが(現に受験期は受験のことだけ考えればよかったのでまだ耐えてた)、3つも別方向に屹立されてしまうとゲボ吐きます。
こういったストレスから逃れる為に、アニメとかゲームに現実逃避をする人も多いようですが、生憎僕はめちゃくちゃ現実逃避が苦手なタチでして、日々消耗しています。
そのかわり「やるべきことをやる時間」をブッチ切って睡眠時間に変えてしまっているので、ただただ自己嫌悪とタスクばかり積み上がっていく。
寝て起きるとストレス一切を忘れるタイプの人間なので、また1日同じことを繰り返しては夜中にウンウン唸っています。
オチはありませんが、こういう五月病にかかった時はどうすれば良いんでしょう。
「努力は報われる」は嘘説
まずはじめに。今回は「ガード下酔いどれ人生 追悼編」(https://youtu.be/VXSaeq8-Y1I)を見て思った事を書きます。でも、元動画見ないと話についていけないってことはない(よう努力します)です。
まず、ガード下酔いどれ人生を知らない人のためにに解説すると、2000年ごろ放送されたフジテレビのドキュメンタリー特番で、テレビカメラがフォーカスを当てているのはアル中の「ヨシオさん」。
彼はアラフィフなのに80近い母親と二人暮らし、イジメが原因の対人恐怖症持ち。以前は短期間職についていたものの職場がことごとく潰れ、今は母親の年金で毎日酒浸りの日々と、本当にどうしようもない「与太郎」。
今回僕が見た「追悼編」を含め、3回放送されたそうです。
「追悼編」では、母親が入院している間にヨシオさんが家でぶっ倒れて死んだというニュースからスタート。
そして生前の呑んだくれる姿や、そんな彼を気にかける母親、そして唯一の友人との絡みがダイジェストでまとめられており、だらしないながらもどこか人間味にあふれた生活が映し出されていました。
で、見終わって感想を1つ。救いがなさすぎるだろ!!!!!!!!!
職歴ゼロに等しいアラフィフのおっさんがそりゃ人生逆転できるとは思わないけどさ…
ゴミまみれの自宅で孤独死ENDて、流石に救いがなさすぎるだろ。
おそらく、日本にはこういった「悲しい最期を迎える人」はたくさんいるのではないでしょうか。
このヨシオさんはたまたまテレビカメラが向けられただけで、目の届かないところにヨシオさん予備軍はわんさかいそうですよね。
さて、そんなガード下酔いどれ人生の中で心に残ったシーンが1つ。
ヨシオさんと仲のいい、板金工の小林さんという方が食道がんの手術で入院しました。
手術後に見舞いに行ったヨシオさんは、小林さんから「見舞いに来とる場合か!お前はこのままじゃいかん!職を見つけろ!」と叱咤激励されます。
そこで一念発起したヨシオさんは、職探しへ駆け出し、度重なる就活の末に警備員見習いの仕事を見つけるのでした。日当五千円と薄給の仕事ですが、依存していた酒もやめて真面目に働きだしたのです。
…と、ここで終わればハッピーエンドですが、これはそういう話じゃあありません。
一ヶ月後に再びカメラがヨシオさん宅を訪れると、再び呑んだくれるヨシオさんの姿が!
不景気からクビになり、再び呑んだくれの与太郎に戻ってしまったのです。ちゃんちゃん
この話から学べることは、「努力が必ず報われる、は嘘」、「人生詰んだらスパイラル式に地獄の底まで落ちる」という、至極当然な暗黙の了解です。
至極当然でありながら、多くの人は「努力は報われるもの」とかいう確証の無い甘い嘘を信じて生きています。
かくいう僕も、多分この嘘を信じてるからちょっとショックを受けたのだと思います。
あれ、何が言いたかったのかわからなくなって来たぞ…
まあいいや、そういう下手な嘘に騙されるよりかは、努力で育てた酸っぱい木の実をヘラヘラ笑って食べる事が大事なんじゃないかな。多分。
マルメンと小児ぜんそく
一年くらい前に箱ごともらいタバコしたマルメンのスリム・ロングがゴミ箱の裏から出てきた。
口寂しさを感じていたので一本くわえてみたところ、昔飲んでいた小児ぜんそくの薬に近いフレーバーを感じた。
確かキプレスという、赤いパッケージに入った薬。小学校四年生くらいまで飲んでいたかな。
喘息を抑えるために摂っていたものと同じフレーバーではあったが、今度は喘息を引き起こす側のもの。
この逆転が起こるまでの十数年間に想いを馳せてしまい、なんだか切ない気持ちになったけれど、いざ火をつけて吸ってみたら辛いし味は飛んでるしで全く吸えたもんじゃない。
そんな束の間の感傷も明日には忘れているだろう。でも、ただ忘れてしまうのはもったいないので、形の上だけでもこうやって残しておくことにする。
「完璧」のネガティブと無文脈の魅力
僕(この一人称は気にくわないけど、かしこまった文章だと他にしっくりくるものがないのでこれを使う)は、完璧という言葉に少しネガティブなイメージを持っている。
完璧(無謬と言い換えることもできるかもしれない)であるということは、受け取り手の解釈を拒む、閉じた存在であるように思われるからだ。
僕はそういったロジックから、理不尽な完璧よりも、物事にはその後に個々人の解釈の余地を残していた方が魅力的であるように感じてしまう。まあ、単純に僕が凡俗な人間なので、高尚な完璧さの背後に在る文脈を理解できないだけなのかもしれないが。
そして、それと同時に受け手に解釈の大部分を任せるような、「無文脈さ」に魅力を感じる。ここでいう無文脈というのは、自分の価値観や人生の文脈(バックグラウンド)に即さない物事全般だ。
無文脈を解釈しようとすると、その受け取り方は十人十色であり、なおかつその解釈の過程で自分自身の内面と否が応でも対話することになるからだ。「書を捨てよ、街に出よう」ではないけれど、大事なのは物事をどれくらい理解するか、ではなくて、どのように理解するか、だろう。自分が物事を解釈した過程には自分なりの価値観があって、その加齢や経験によって絶えず変化する価値観が物事との対照で浮かび上がってくる。
物事には疑いの余地が必要で、その物事そのものはどうであれ、受け取り手である自分自身による解釈あるいは疑問によって、人は前に進める、あるいは歩いてきた道を確かめることができるような気がする。
逆に閉じて変化のないもの、完全無欠のものは何か淀んだ水たまりのような嫌悪感を感じさせる。
特にオチはないけど、このブログで書く文章は多分こんな感じ。気色悪くても許してほしいナ。